たどり路

火山島を眺めながら南へ

 三島。富士山からの湧き水が澄んだ清流となって、気がつくと家の裏手に、道のすぐ横に流れている街。三島といえば三嶋大社。そして楽寿園もおもしろい。家族連れが集まる小さな動物園のまわりを、大人の乗客のほうが多いミニ機関車が爆走している。すぐ近くの沼津は駿河国だけれど、三島は伊豆国。そう、ここは伊豆の玄関口。三島から修善寺までは伊豆箱根鉄道が走り、修善寺からは湯ケ島、天城越えと伊豆の踊子の世界だ。天城峠をトンネルで越えて七滝とループ橋で高度をぐんと下げると、早咲きの桜で有名な河津の街に入る。伊豆急行の鉄路をくぐると、目の前は相模灘だ。沖には伊豆七島も見えている。

 海に出たら右へ。入り組んだ岩場に沿って細かいアップダウンを繰り返す道は、下田へとさらに南下する。日射しは強い。龍宮島を過ぎて常緑の大木に守られるように見えてきたのが、国道沿いにある伊古奈比咩命神社(白濱神社)の赤い橋だった。ここは古代から火山島を遥拝する場所であり、神事の際に幣串と神饌を海中に投じる大明神岩が有名。海に突き出た大岩からは伊豆七島を一望できる。伊古奈比咩命は三嶋神の后とされており、三嶋は御島(三宅島=御焼島)を指しているのだろう。

 白砂の浜に立つと風が吹いてきた。遠くにはいくつもの島が重なり合いながら見えている。三宅島から訪れる伊古奈比咩命は神事の後、大岩から島へと帰っていくという。ここは火山の力を鎮めるための場というよりも、火山の力を頂くための場と言えるかもしれない。さらに大明神岩からは本殿の下まで続く海蝕洞があったということで、古代からの祭祀の場として強い地面の力を感じる。
 大明神岩をお参りした後に橋を渡り本殿に向かう。「伊豆最古の宮」の看板とともに、推定樹齢二〇〇〇年といわれるイブキの巨木が迎えてくれる。あたたかく力強い雰囲気に包まれて、火の女神のパワーを存分にいただく。神社の横には小さな魚屋さん。下田港で獲れたての魚で刺し身盛りを作ってくれるというお店。実は前日に予約をしておいたので、持参した湧水で炊いた無農薬の胚芽米に乗っけて、魚介丼にしてありがたくいただいた。

 伊古奈比咩命神社から下田の街へと入る。港には黒船を模した観光船が停泊し、その帆の向こうには下田湾と犬走島が見えている。スイセンが咲く南国のような並木が続き、ここから南はあったかい海ばかり、そんな明るさを街中が纏っている。
 下田からはトンネルをいくつもくぐり田牛へと向かう。青い海、岩山、トンネル、青い海、岩山、トンネル。そしてもうひとつトンネルをくぐるとお目当ての場所にたどり着く。田牛には岩崖に風で寄せられた砂をソリで滑り降りるサンドスキー場もあるけれど、行く先はもちろん龍宮窟。地元の田牛区のおじさんが指差す穴は、道路のすぐ脇に下に向かって空いている。急な階段を下りていくと洞窟の中に海が広がる。屋根は抜けて空が見える。その向こうの穴からは外海が見えている。海蝕洞の天井が抜けてこのような形になったという。元の階段を息を切らせて上ると、さらに海蝕洞の上へ。そこはカラカラと乾燥した岩山に作られた遊歩道で、先ほどの穴を空から覗くことができる。突端には龍王社。ガハハハと笑い飛ばす底抜けに陽気そうな社だった。

 田牛の先は弓ヶ浜。白い砂浜が弓なりに弧を描いていて美しい。道の端っこに座って、しばし景色を浴びる。冬の太陽がとても温かい。ここには有名なサザエ店があり、伊勢エビ料理でも有名。ずいぶん以前に訪れたことがあり、店の雰囲気は変わっていないようだった。弓ヶ浜から少しだけ陸側に入ったところにあるのが、今回、一番楽しみにしていた月間神社だ。
 間という文字は閒であり、漢字の由来は門の間に神の姿がチラリと見えている様子というけれど、真っ直ぐに伸びた参道の正面にちょっとだけ扉が開いた拝殿が見えていて、まさにそのまま。なにか手招きされているような雰囲気に引き寄せられる。巨大なクスノキに囲まれて、扉の中を覗いてみると、静かに透き通った森と本殿がそこに存在した。参道の途中には池に囲まれた弁天様があり、ここの強さもすばらしい。三嶋神は神津島からこの場所に上陸されて、ここから現在の三嶋大社に遷座したと、この地では伝えられている。火山島のパワーは様々な場所から崇拝の対象になっていたのだろう。と、ここで気になることがひとつ。先ほどの伊古奈比咩命神社の大明神岩は崇拝の対象である島々を向いていたのに対して、この本殿の先は海ではない。もしかすると後から三嶋の神様が習合したのではと調べてみると、月間は竹麻であり筑摩であり、出雲系である諏訪神の神社なのではという情報が。というわけでこの話、続いてしまいます。

※この文章には筆者独自の考察・視点が含まれており、一般的な史実や由緒とは異なる部分があります。

コメントする

CAPTCHA


ZOUSOUへのお問い合わせ