以前に街で働いていた頃の話。私の事務所のまわりは住宅街で、その向こうには高層ビルが並んで見えていた。すぐ近くにも高さ二三四メートルのビルが見上げるように存在した。車の途切れない片側四車線と二車線の道が交差し、その上空にも地下にも高速道路が大量の車を走らせていた。夜遅く、仕事を終えドアを開けるとノイズの塊に包まれる。そしてその密度の高い闇の中へと自転車を漕ぎ出す。この街は平らに見えて起伏が多い。大通りだけはアップダウンは少ないけれど、端から端まで目一杯に車が疾走している。自転車が走れる歩道も少ない。一つ裏を通ればと思うと、階段あり急坂ありな魔窟のような細い街路が待っている。
ある日、地図を眺めていると奇妙に小さなカーブを描きながら枝分かれしている道があることに気がついた。いくつもの枝道が合流して海へと向かっている。川だ。自転車で行ってみると暗渠だった。川は無い。でも足下に川を感じることができた。マンホールからもせせらぎのような音が聞こえてくる。川の道を見つけたことで、この街での自転車での移動はスムーズになった。川はアップダウンをしない。山から海へと下っていく。カーブは多いし夜はしっかりと暗いけれど、街を舞台裏から見ているようで何だか楽しい。電車とも道路とも違ったところで、街と街がつながっている。区域でもエリアでもない流域で街が結ばれている。この視点を持ち始めると、街の中に尾根があらわれ、谷戸が復活し、平原が広がった。
働いていた場所の近くに三方を高台に囲まれた谷がある。童謡「春の小川」の源流域だ。そこでも「春の小川」は見えないけれど、しっかりと川は流れていた。暗渠を海へ向かうと川が現れる。コンクリートで囲まれた川だけれど、桜の並木で彩られ水辺の鳥や蛇も出てくる。川沿いを散歩する人も増えてくる。川に向かってベンチを並べた店もある。地面の下に隠れている川に多くの人が気がつくとき、この街にも地面の力が蘇るだろう。春を待つフキノトウのように、川はじっとその時を待っているのかもしれない。