雑草の道 3

笛を吹く人にとってドーナツ化した人たちは欠かせない。心の中心を誰かに明け渡した人たち。それは特殊な集団に多い印象だけれども、普通の集団においても広く分布している。例えば官僚組織。戦争でも薬害でも感情を動かすこと無しに、顔色ひとつ変えずに遂行することができる人が優秀とされる。組織に結果がもたらす災禍を想像する機能は存在しない。責任は想像から始まるとイェーツは言う。果たしてそうであろうか。責任は潜在化され、そこから逃れるためにドーナツの穴に磨きをかける。誰かが強く笛を吹く。ドーナツの作り方は簡単。中心を邪悪なものと決める。刳り貫く。そしてそれを満たすように笛を吹く。ただそれだけ。中心を刳り貫かれた人たちは自分たちの空洞が利用されていることを認識する中心が存在しない。誰かが隣で中心を刳り貫かれていても、それに感情を動かされるという機能が働かない。笛はますます大きくなっていく。小さな笛を少しずつ大きな笛に替えて、ドーナツ化した人たちを利用して、さらに多くのドーナツ化した人たちを動かしていく。平和という名の戦争。慈善という名の偽善。調和という名の破壊。しかし、ありがたいことに潜在化された責任は飽和点で必ず噴出する。その勢いは笛を吹き飛ばし、集団を破壊する。この機会を決して逃してはいけない。新たに中心を満たす笛を決して求めてはいけない。それを満たすものは必ず自分の力で見つけることができる。自分の身近に必ずある。遠い昔から受け継がれてきた中にも必ずある。それを探す努力をしなくてはいけない。小さな声を聞く練習をしなくてはいけない。次の一歩を踏む石を自分で見つけなくてはいけない。自然も風土も土も風も生き物たちもすべての人たちも、そのとき必ず自分を包むものとなってくれる。その小さいけれど温もりを持ったもので、自分の中心を満たしていこう。自分の感情を信じよう。もう誰の笛も求めてはいけない。決して求めてはいけない。

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